●芳さんの起業編その1

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屋号       tenpo3
●芳さんの起業編 その1
芳さんの家は、もともと祖父の富太郎が商売を始めたのが最初です。
屋号も最初は、飯塚小間物店で富太郎没後、
父正一が、後に富太郎の一字をとって「丸富」と決めた経過があります。
時代背景としては、明治の末か、大正の初めになるかと思います。
リヤカーの引き売から始まり、店舗販売をするようになり、
やがて戦争になるまでの期間であまり詳しくは分かりませんが、
芳さんの父正一がお店に入るまでの時間を
祖父富太郎と祖母ヤスで守って来た時間が有りました。

その時は、主に食品関係や小間物や油の量り売りがメインでした。

その後、芳さんの父正一がお店に入るのですが、

父も、戦争前はサラリーマンをしており終戦直前には、
憲兵隊にいた関係でレッドパージと呼ばれる対象になってしまい、
元の職場に強制的に戻れなくなってしまい、
否応なく祖父の元に帰らざる負えなかったそうです。

そこで、私の父と母は、
商売を祖父から引き継ぎ始めることになったそうです。

やがて昭和の高度成長期に入り、
その時は化粧品と雑貨が中心になっていたのですが、
意外と実入りがよく従業員も3名ほどに増え、

3人の子供、姉2人と芳さんを全て、
大学まで出せるような内容で順調に推移してゆきました。

両親は、後継者にしようと長女を薬学部に進ませ、
薬剤師の資格を取らせたのですが、
結局、結婚を機に後継者の話は断ち切れたようです。

ところが社会人編で話してきたように、
テナント出店の機会が生じ、主に中心になっていた母が、
病気で倒れてしまった時から、父親の負担が増え、
それと同時に化粧品業界も国内市場が低迷し始め、
大型ドラックストアや、通販業界に市場を奪われ、
零細の中小店舗は少なからず厳しい局面に立たされました。

父親の経営する店舗も同じ状況でした。
そんな時、父親も体の状態が悪くなり、
まさにそんな時に追い討ちをかけるように、
芳さんの東京行の話が持ち上がりました。

芳さんも大変悩みました、
一家を連れて東京でサラリーマン生活を送るか、
倒れゆく店舗を父親から引き継いでやるか、

嫁さんと子供のことも有り悩んだ結果、
芳さんは、新たな起業をするつもりで店舗を引き継ぐことにしました。

製薬業界に身を置いていた関係で、
これからの化粧品業界や医薬品業界のことは、
多少明るかったことから、
思い切って薬の業界に挑戦してみようということで決断をしました。

当時薬の取り扱いは、薬剤師、薬種商、配置販売の許認可が必要な業界でしたので、
最初は配置販売の資格から入りました。

店舗販売と配置販売の薬という形式です。さて、
芳さん、くすり屋としての道を手探りで歩み始めました。
平成10年ことです・・・
芳さんの起業編 その2に続く
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